第54回人権擁護大会シンポジウム報告

 2011年10月6日、香川県高松市で開催された日本弁護士連合会主催の第54回人権擁護大会シンポジウム第1分科会「私たちは「犯罪」とどう向き合うべきか?-裁判員裁判を経験して死刑の無い社会を構想する-」に出席しました。5時間半の大規模な分科会でしたが、ここではオスロ大学のニルス・クリスティ教授の基調講演について報告します。

クリスティ教授は講演の冒頭で、2011年7月22日にノルウェーの首都オスロ市で起こった政府ビル爆破事件、オスロ郊外のウトヤ島での与党労働党の青少年部の集会への銃乱射事件の一連の「テロ」について触れました。この事件では80名近くが死亡しましたが、死刑も無期刑もないノルウェーでは、最高で21年の拘禁刑になり、加害者はいつしか社会にもどってくる存在です。ノルウェーは過去に経験した事のない事態に直面し、加害者に対しどのように対処するべきかが問題となっているそうです。この事件への対処を探りながら、刑罰や更生について考えるきっかけを与える講演となりました。

クリスティ教授は、ある調査の経験から興味深い発見をしました。ノルウェー北部にナチスの強制収容所が作られ、ノルウェー人看守・刑務官も加わり行われた虐殺について調査を行いました。ドイツ人ではなく、ノルウェー人がどうして虐殺に加われたのかを調べようとする試みでした。クリスティ教授らが、「なぜ殺したのか」と問うのではなく、「囚人をどのような人とみていたのか」と質問したところ、答えは大きく二つに分かれました。殺害行為に手をかした人々は、囚人をモンスターや野獣のように説明し、殺害行為に手をかさなかった人々は、「~という人だった」と人間として説明をした
そうです。看守と囚人の関係で、人として扱う状況があることが虐殺を起こさせなかったのです。クリスティ教授は人を人間として扱わないことが殺害を可能にしてしまう背景にあると考えています。

クリスティ教授は、7月22日の「テロ」に関しても、加害者を普通のノルウェー人として考えないのではなく、同じような経済的な境遇にあるのに、「なぜ」、「どのように」考え方がそのようになってしまったのかを考えることが重要であると指摘しました。今ノルウェー社会ではどのように対処するべきかが問題になっていますが、80人近くも殺害している状況で、犯人1人を殺しても刑罰は見合わないし、応報は不可能です。クリスティ教授は刑罰には限界があるといい、「赦し」の必要性を説きました。

裁判に対して修復的司法という考え方があります。裁判所のような判断はせず、被害者の生の言葉も出し、被害者の感情を全て出す、司法ではない手続きが必要であるといいます。物質的な解決ではなく、私たちが暮らす社会をどのように統制すべきかが大切であり、近隣社会を見つめ、社会格差を広げずに、人間を人間として見る社会が重要であるとクリスティ教授は強調しました。

第1分科会の翌日の10月7日に開催された第54回人権擁護大会では「罪を
犯した人の社会復帰のための施策の確立を求め、死刑廃止についての全社会
的議論を呼びかける宣言」(http://ow.ly/8xqWS)が採択されました。